来週。浜井派型競技選手権大会!
来週 11月22日 日曜日 石川県白山市 美川総合スポーツセンターにて 極真浜井派の
型競技選手権大会が開催されます。(^^)/~~~
極真空手!と言うと やはり!組手。がメインです。
が しかし 空手道として”型”(形)は やはり全てであり 空手の心ではないでしょうか…
50歳… 60歳となって 組手!とは 現実問題かなり難しい… ? と思うのですが。
歳とったから 型をする訳ではありませんが 空手道をこれから続けて行くうえで 非常に大切な 課題かと…
最近 福井市内で”形(型)のみを 教えるところがあるようです。
組手のみ も ありますから 型のみ も アリでしょうか? (賛否両論ありそうですが…)
どっちにしても 福井の空手(フルコンも伝統派も)界がもりあがれば いいのかと…
福井道場も”お父さん空手家”が多いです。(私達 指導者もそうですが。(^^) )
型の稽古なら 自宅や仕事場などでも出来ると思います。<(`^´)>
毎日 コツコツが上達への道!m(__)m
皆さん 頑張りましょう!!
来週の大会に向けて 灯明寺の子供達も頑張って!!(お家でも稽古するのだ!by師範)
私も稽古せねば… (-_-;)
押忍!
こんにちは。
息子は今年休憩中ですが、来年の出場を目指しレベル確認のためにJKJO全日本観戦に行きました。
会場でご挨拶できずに失礼しました。
型の話になりましたので、ご意見をお聞かせ下さい。
以前お話しましたが、私日拳出身のため空手(極真、伝統派も含め)の基本、空手道の型についてよく分かりません。
何故、あのような基本稽古になっているのかと言うことについてです。
色々調べたところ、「基本と型と組手」について一番理解しやすいのを見つけました。
八木先生はかなり型を研究されていると感じています。
「基本と型と組手」の解釈として、この文章(書き込み)で正しいでしょうか?
この書き込み後、誰一人として反論していないので、解釈としてはこれが正しいのかなと思っています。
私以外にも疑問に思っている方はおられると思いますので、こちらで質問させて頂きました。
長文ですが、ある有名掲示板の書き込みをそのまま添付します。
よろしくお願いします。
> 素朴な質問ですが、まだ自分は色帯でこんなこと言うのも何なんですが、基本稽古も移動稽古も、型を分解して部分的に繰り返すように作られていると思うんです。
そうかもね。
> 私の通っている極真道場の稽古内容は、だいたい基本→移動→型→組手と進みますけど、
俺は、型は体操であると再三に渡り言ってるわけだが、その体操をバラしてくり返すのは、これは型体操の前段階の準備運動なんだね。
つまり、型体操がちゃんとできるようにその場基本や移動基本であらかじめ準備しておくんだね。
>結局組手になるとそれまで稽古した基本、移動、型が全て吹っ飛んで、いきなりキックボクシングになってしまうんですが…。
> 何で始めっからリズム感を養成するキックボクシングの稽古をしないんでしょうか?
> 内受けとか金的蹴りとか、どうも無駄な稽古をしているようで納得できません。
> つまるところ型を一生懸命練習して、いきなり型とは無関係の組手をやるといった流れでしょ?
まず、「キックボクシング」という競技のルールや格闘スタイルが極真ルールの組手競技とは違うのは知ってるよね?
まあ、揶揄的表現として極真ルールの組手競技をキックボクシングと表現したんだろうけど、まあ、それはそれでいいや。
そもそも基本や移動基本という一連のものは、型体操がちゃんとできるようになるための布石なわけだね。
だから、「内受けとか金的蹴りとか」も、型体操の中にはあるのだから準備運動ではその練習も繰り返し行うことになっている。
そして約束組手は、型体操は勝手に動いてるわけじゃなくこういう動きを表現してるんだよ・・という検証のために行う。
と、まあ、本来はそれで空手というものの練習は終わりなんだよね。
あ、そこで話を理解しやすくするためにちょっと空手の歴史を考えてみようか。
昔、船越義珍というおじさんが沖縄から本土に来て学生たちに空手の指導をしていたときには上記のような稽古体系だったんだよ。
自由組手なんかやらなかったんだ。
しかし、教わっていた学生たちが何を勘違いしたのか「マジで闘ってみたいっす」とか言い出したわけ。
でも義珍おじさんは「自由組手なんかするもんじゃない。空手とはそういうものではないのだよ」と反対した。
で、いろいろあって結局学生たちは反対されても自由組手というものを始めちゃったわけなんだけど、自由に組手するノウハウがない。
とりあえずは型の動きのまんまで動いたりしてみるんだけどぜんぜん実用的ではない。
ということでアレコレ試行錯誤して組手スタイルと言うものを構築していったということなんだ。
だけど、「自由組手」と言ってもホントに自由に闘ったりしたら怪我人続出で危険すぎるので、攻撃に制限をしたり防具をつけたりというルールを作り安全性を確保した上で行うことにした。
ここでポイントなのが、この組手スタイルというのは、「本来の空手」というものの闘い方ではなく、学生たちが試行錯誤して独自に築いてきたものだということだ。
ようするに、型と組手は最初から関係なく、しかしどちらも「空手の稽古」として練習されてきたってことなんだ。
こういう稽古の在り方は極真にも採用されていて、「型のための稽古→その場基本・移動基本・約束組手・型」と、
「組手のための稽古→シャドー・ミット打ち蹴り・受け返し・スパーリング」という二つを稽古体系に組み入れている。
結論として、「空手」の名の元にテーマの違うことを並行してやっているんだから、型と組手がリンクしていなくてもぜんぜんおかしくはないってことなんだね。
これで君の疑問は解決したと思うのだけども、いかがなものかな?
投稿: 九頭竜拳旺会 宮下 | 2009年11月17日 (火) 15:23
貴重なご意見ありがとうございます。
お恥ずかしいのですが まだまだ 私のレベルでは型を語るには ちと 早いと思います。
手前の記事では 空手の心 とは書いておりますが まだまだ 本当の部分までは 理解出来ておりません。
もっと、もっと、勉強しましてから 意見させていただきたいと思います。
押忍。
投稿: 八木です。 | 2009年11月17日 (火) 21:42